今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会(第11回)議事録

1.日時

令和6年4月26日(金曜日)10時00分~12時00分

2.場所

WEB会議と対面による会議を組み合わせた方式

3.議題

  1. 学習評価の在り方について
  2. その他

4.議事録

【天笠座長】  それでは、ただいまから、第11回今後の教育課程、学習指導及び学習評価等の在り方に関する有識者検討会を開催いたします。
 皆様、大変御多忙中のところ、御参加いただきまして誠にありがとうございます。会議に先立ちまして、4月1日付で事務局に異動がありましたので、新しく着任された方から一言ずつ御挨拶をいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
【森初等中等教育局審議官】  着座にて失礼いたします。4月1日付で、初中局担当審議官を拝命いたしました、森と申します。どうぞよろしくお願い申し上げます。
【天笠座長】  よろしくお願いいたします。
 続きまして、武藤課長、お願いいたします。
【武藤教育課程課長】  同じく1日付で教育課程課長に就任をいたしました、武藤と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】  同じく、4月1日付で教育課程企画室長及び外国語教育推進室長を拝命いたしました、栗山でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
【天笠座長】  どうぞよろしくお願いいたします。
 それでは、議題に移ります。本日は、学習評価の在り方をテーマに議論していただきたいと思います。このテーマに関わる有識者として、事務局とも相談いたしまして、京都大学大学院教育学研究科教授でいらっしゃいます、西岡加名恵先生から御発表をお願いしております。
 西岡先生からお話をお伺いした上で、西岡先生を交えて委員の皆様方と意見交換を進めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。まず、西岡先生からの発表に先立ちまして、事務局より、現行の学習評価の枠組みについて簡単に説明をお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【栗山教育課程企画室長】  失礼いたします。それでは、資料1を御覧いただければと存じます。本日は、当会議の第4回で、委員の皆様から示されました議論すべき事項として示された項目のうち、各教科等の目標、内容、方法、評価の在り方をどのように考えればよいかという点に関して、特に学習評価の在り方について御議論をいただくものでございます。
 議論に先立ちまして、現行の学習指導要領に記載の学習評価の充実について、簡単に御紹介を差し上げたいと考えております。それでは、資料2ページを御覧ください。現行の学習指導要領におきます学習評価について理解する前提といたしまして、現行の学習指導要領におきましては、育成すべき資質・能力を知識及び技能、思考力・判断力・表現力と学びに向かう力、人間性等の3つの柱に整理したところでございます。
 次のページを御覧ください。その上で、各教科等の目標、内容の記述について、資質・能力の3つの柱で再整理したところでございます。御覧をいただいておりますのは、小学校の国語の目標、中学校の数学の内容について、再整理をした例でございます。
 4ページを御覧いただければと存じます。また、学習指導要領に示しております資質・能力の確実な育成を図るため、学習指導と学習評価を一体のものとして考え、学習評価を次の学習指導に生かしていく。いわゆる指導と評価の一体化が重要でございます。学びの結果を評価して終わるのではなく、児童生徒一人一人の学習の成立を促すための評価という視点を一層重視することによりまして、教師が自らの指導の狙いに応じて授業の中での児童生徒の学びを振り返り、学習や、指導の改善に生かしていくというサイクルが大切だというふうに考えております。
 5ページを御覧ください。このような位置づけを有する学習評価について、現行指導要領では、記載のように、その実施に当たっての配慮事項を示しているところでございます。この第3の2、(1)の部分の4行目の後半からでございますけれども、学習の過程や成果を評価し、指導の改善や学習意欲の向上を図り、資質・能力の育成に生かすこととされておりまして、その位置づけが確認できるところでございます。
 6ページを御覧いただければと存じます。そして、既に御説明した目標や内容の再整理を踏まえまして、学習指導の目標、内容と学習評価の、評価の観点をそろえて、指導と評価の一体化をより促進していくために、学習状況を分析的に捉える観点別学習状況の評価の観点につきましては、従前、4観点であったものについて、現行の学習指導要領においては、知識・技能、思考・判断・表現、主体的に学習に取り組む態度の3観点に整理をされたところでございます。
 7ページを御覧ください。まず、知識・技能の評価でございますけれども、各教科等における学習の過程を通した知識及び技能の習得状況について評価を行うとともに、それらを既有の知識及び技能と関連づけたり、活用したりする中で、ほかの学習や生活の場面でも活用できる程度に概念等を理解したり、技能を習得したりしているかについて、評価をするものでございます。
 下の部分は、具体的な評価の工夫例を示しているものでございますので、後ほど御参照いただければと存じます。
 8ページを御覧ください。次に、思考・判断・表現の評価についてでございますが、各教科等の知識及び技能を活用して、課題を解決する等のために必要な思考力・判断力・表現力等を身につけているかどうかを評価するものでございます。同様に、下の部分は具体的な評価の工夫例を示しているものですので、後ほど御参照いただければと存じます。
 9ページを御覧ください。最後に、主体別に学習に取り組む態度の評価についてでございます。育成すべき資質・能力である学びに向かう力、人間性等との関係では、主体的に学習に取り組む態度として、観点別学習、観点別評価を通じて見取ることができる部分と、観点別評価や評定にはなじまず、こうした評価では示し切れないことから、一人一人のよい点や可能性、進歩の状況について評価する個人内評価を通じて見取る部分、具体的には、感性や思いやりなどが該当するという整理をしてございますけども、そうした部分があることに留意する必要があるとされております。
 現行学習指導要領に示されました、各教科等における学びに向かう力、人間性等に関わる目標や内容を踏まえまして、各教科等の特質に応じた評価方法の工夫改善を進めることが重要であるとされているところでございます。
 そのまま10ページにお進みください。主体的に学習に取り組む態度の評価に際しましては、単に継続的な行動や、積極的な発言を行うなど、性格や行動面の傾向を評価するということではなく、各教科等の主体的に学習に取り組む態度に係る評価の観点の趣旨に照らしまして、知識及び技能を獲得したり、思考力・判断力・表現力等を身につけたりするために、自らの学習状況を把握して、学習の進め方について試行錯誤をするといった、自らの学習を調整しながら学ぼうとしているかどうかという、意思的な側面を評価することが重要とされたところでございます。
 こうした考え方自体は従前から重視されてきたものではございますが、現行の学習指導要領におきましては、この点を主体的に学習に取り組む態度として、改めて強調しているものでございます。
 そして、このような主体的に学習に取り組む態度に係る各教科等の評価の観点の趣旨に照らしまして、知識及び技能を獲得したり、思考力、判断力、表現力等を身につけたりすることに向けた粘り強い取組を行おうとする側面と、もう一つ、そのような粘り強い取組を行う中で、自らの学習を調整しようとする側面という、2つの側面を評価することとされているところでございます。
 次のページにお願いいたします。ほかの観点と同様でございますが、このような主体的に学習に取り組む態度に関して、具体的な評価の工夫例を示しているものでございますので、また、後ほど御参照いただければというふうに存じます。
 最後のページでございます。ここまでの現行学習指導要領における学習評価の基本構造を整理して、図示したものでございます。観点別の学習状況の評価と、それを総括的に捉える評定の両方について、一番上の部分でございますけれども、学習指導要領に定める目標に準拠した評価として実施するものとされておりまして、いわゆる相対評価とは異なるものというふうになっているところでございます。
 なお、評定につきましては、一番下の部分に記載がございますが、従前同様、小学校第3学年以上は3段階、中学校は5段階で評価することとされているところでございます。
 以上、現行学習指導要領におきます学習評価は、児童生徒の学習改善につながるとともに、教師の指導改善につながることを旨として改善をされまして、御説明申し上げたような現状にございます。
 大変雑駁でございますが、現行の学習評価について簡単に御説明をさせていただきました。以上でございます。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。それでは、今の御説明も踏まえつつ、次に西岡先生からの御発表をお願いしたいと思います。
 西岡加名恵先生は、中央教育審議会初等中等教育分科会教育課程部会の臨時委員を務めていただいております。専門分野は、教育評価・教育方法学でいらっしゃいます。
 それでは、西岡加名恵先生より、資料3に基づきまして、40分程度お話を頂戴いたします。西岡先生、どうぞよろしくお願いいたします。
【西岡氏】  ただいま御紹介にあずかりました、京都大学の西岡と申します。このたびは、このような機会をいただき、誠にありがとうございます。御依頼いただいたのは、学習評価の在り方についてというテーマだったのですが、私としては、学習評価の在り方を通してカリキュラムを改善していくことが大切だと考えておりまして、「学習評価の在り方からカリキュラム改善を考える」というテーマでお話ししてみたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 今日、御提案したいのはこちら(スライド3)に示した4点です。
 まず、第1のポイントなんですけれども、教育課程の領域の整理と役割分担の明確化です(スライド4)。1998年の学習指導要領改訂では、「総合的な学習の時間」が創設されました。これは、子供たち自身が課題を設定し、情報収集、整理・分析、まとめ・表現をすると、また新たな課題が設定し直されるという問題解決のサイクルを繰り返す「探究的な学習」を行う時間となっております。子供たち自身が課題を設定する力を身につけるには、かなり長い時間がかかりますので、学年発展型のカリキュラムが組まれることが多いかと思います。
 この改革は画期的だったと思うんですけれども、すぐに学力低下を引き起こすという批判が起こり、2003年には「確かな学力」の向上を目指した一部改正が行われました。さらに2004年には、いわゆるPISAショックが起こり、2008年の学習指導要領では「知識・技能」を活用する「思考力・判断力・表現力等」を重視するという方針が打ち出されるに至りました(スライド5)。
 実際のところ、総合学習だけだと、探究しようにも手も足も出ないというような子供たちがたくさんいるという現実を踏まえて、教科において知識や技能を活用する力を身につけさせ、教科と総合を相互に響き合わせながら、子供たちを育てていくという方針が示されたのです。私自身は、このカリキュラム構想は、非常に適切な1つの到達点だったと考えています。
 さて、現行の学習指導要領では、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」という3つの柱で捉えられる「資質・能力」の育成が目指されています(スライド6)。この改訂に当たっては、教科横断で発揮されるような汎用的スキルやコンピテンシーをどう育成するかが問われていました。私自身が参加した「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」では、問題解決力、論理的思考力、コミュニケーション力といった汎用的スキルと、教科目標・内容をどう両立させればよいのかが主要な検討事項となりました(スライド7)。
 確かに、そういった汎用的スキルは重要ですが、これまで各教科で保障されてきたような目標・内容も欠かせない。だとすれば、教科の本質を深く学び、教科等ならではの「見方・考え方」を育てることを通して汎用的スキルを育成するのが適切であろう、と検討会においては整理がなされました。ここに示したイのところには、後ほど詳しく御紹介する「逆向き設計」論の「本質的な問い」や「永続的理解」の考え方を採用していただいています。
 ただ、この時点での議論の反省点として、時間切れになってしまいまして、カリキュラムの領域や時間ごとの独自性や役割分担を十分に議論するには至りませんでした。その結果、その後、「資質・能力」の3つの柱をカリキュラムの全領域に均等に適用するという方針が整理されていきました(スライド8)。
 しかし、本来であれば、「知識・技能」や、「見方・考え方」「思考力・判断力・表現力」といった教科の学力の育成に主要な責任を持つ教科学習と、「どのように社会や世界と関わり、よりよい人生を送るか」という問いにしっかりと向き合う「総合的な学習」や「特別活動」というように、領域・時間ごとの役割分担を明確にしておくべきだったと悔やんでいます。
 もう少し具体的な例で御説明しておくと、スライド9には4つの問題や課題を例示しています。Aはシリコンバレーという用語を知っていて思い出せるかを問う問題、Bは資料活用のスキルを試す問題です。これは、「資質・能力」の3つの柱に対応させれば「知識・技能」に対応するでしょう。Cは「産業の発展に地理的な条件はどのように影響するのか?」という「本質的な問い」に対応させて、思考・判断したことを表現することを求めるような課題です。まさしく「思考・判断・表現」を試す課題と言えます。
 一方、Dは、高等学校の「総合的な学習の時間」で取り組まれた課題ですが、地域や人々を幸せにするために、生徒自身が課題を設定して取り組むものとなっています。「どのように社会や世界と関わり、よりよい人生を送るか」にダイレクトに関わりますし、そこでは複数の教科の「見方・考え方」などが総合されています。このように、教科学習と総合学習では、扱われる課題の質、「問い」の自由度が異なります。
 しかし、現行の学習指導要領では、教科においても「探究」という言葉が用いられることによって、「探究」インフレともいうべき事態が起こっていないかが気になります。教科であれば、「知識・技能」の「習得」と「活用」に主軸が置かれるべきだと考えるのですが、「活用」の部分が貧弱になってしまっていないかという懸念です(スライド10)。
 近年の動向でいえば、「未来の教室」では、「知る」「創る」という2つの柱が位置づけられています(スライド11)。しかし、このイメージですと、デジタル・ドリルで「知識・技能」を習得し、児童生徒が自由に課題を設定する、あるいは教科横断のテーマに取り組むといった「探究」に二極分化しないか心配しております。中央教育審議会の2021年の答申では、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を推進する方針を打ち出していただきましたが、これも、下手をすれば「習得」と「探究」の二極分化を促す懸念を感じております。
 私としては、「資質・能力」の3つの柱を踏まえると、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」の2つの柱の育成を主として教科教育で担い、「学びに向かう力・人間性等」を主として総合学習や特別活動で担うといった役割分担を行うのが、カリキュラム・オーバーロードの問題を解決する1つの方向性だと考えています。その際、教科においては、「知識・技能」を活用する「思考力・判断力・表現力」の重要性を、いま一度、強調する必要があると考えています(スライド12)。
 続いて、2つ目のポイントに進みます(スライド13)。第2のポイントとして、パフォーマンス評価の活用を引き続き推進していただきたいと考えています。現行の学習指導要領の改訂に当たっては、「資質・能力のバランスのとれた学習評価を行っていくためには、論述やレポートの作成、発表、グループでの話合い、作品の制作などといった多様な活動に取り組ませるパフォーマンス評価」などを取り入れ、多面的・多角的な評価を行うこと、また、子供たちの成長について、ポートフォリオを用いて把握できるようにすることが推奨されました。
 パフォーマンス評価とは、知識やスキルを使いこなすことを求めるような評価方法の総称です。中でも、複数の知識やスキルを総合して使いこなすことを求めるような評価方法を、パフォーマンス課題と言います(スライド14)。
 学力評価の方法は、スライド15の図に示したように分類されます。この図では、上に行くほど単純な評価方法、下に行くほど複雑な評価方法、左側に筆記による評価、右側に実演による評価を並べています。それぞれの評価方法に、測りやすい力、測りにくい力があることは、例えば運転免許を取る場面を思い浮かべていただけると、分かりやすいかと思います。
 運転免許を取ろうと思うと、幅広い知識を身につけているかが、いわゆる客観テストで試されます。また、教習所のコースで、個々の運転技能が身についているかが確認されます。様々な知識やスキルが身についたところで、路上教習、路上検定へと進みます。そこでは、それまでに身につけた知識やスキルを必要に応じて総合して使いこなすことが求められます。路上教習・路上検定に該当するのが、パフォーマンス課題と言えます。
 路上検定では、幅広い知識・技能を網羅的に評価することはできませんが、リアルな状況で知識や技能を総合して使いこなすことができるかどうかを見るには適しています。状況がリアルであるがために多少の運・不運が絡みますが、かといって路上検定をなくすという話にはなりません。なぜならば、路上教習でしか育たない、路上検定でしか測れない力がそこにあるということが、社会的に共通理解されているからなのだろうと思います。
 さて、学校のカリキュラムにパフォーマンス課題をどう位置づければよいのかを考える上で、参考になる理論として「逆向き設計」論があります(スライド16)。「逆向き設計」論では、各教科の中核に位置するような「本質的な問い」、「原理や一般化」についての「永続的理解」に対応させてパフォーマンス課題を用いるとよい、要素的な知識や概念、プロセスやスキルの習得を確認するには、従来のようなテストを用いるとよいというように、「知の構造」と評価方法の対応関係が整理されています(スライド17)。
 また、各教科には、「本質的な問い」が入れ子状に存在している、複数の単元をまたがって繰り返し問われるような包括的な「本質的な問い」を、単元ごとの教材に即して具体化したような単元ごとの「本質的な問い」に対応させて、パフォーマンス課題を開発・活用するとよいと提案されています(スライド18~20)。
 現在までには、既に各学校段階、多くの教科で様々なパフォーマンス課題が開発・活用されております(スライド21~34)。その中では、教科内容の深い理解が促された、子供たちが教科書をよく読むようになった、1年たっても子供たちが授業内容をよく覚えていて、テストの点が上がった、いつも授業中に寝ていた生徒が初めて起きて課題に取り組んだ、といった声が聞かれます。生徒たちからも、楽しい、よく覚えられる、教科を学ぶ意義が分かったといった声を聞きます。
 ここで、実際にパフォーマンス課題を位置づけた単元の展開がどのようになるのかについて、動画を御覧いただきます。この動画は、内閣府で取り組まれているSIPの1つ「ポストコロナ時代の学び方・働き方を実現するプラットフォームの構築」において開発されたものです(スライド35)。このSIPは、A.「新たな『学び』」のデザイン開発、B.「新たな『学び』」と働き方の接続、C,「新たな『学び』」と働き方の空間の創出に取り組んだ上で、それらをD.北海道において実装して、今後、目指すべき理想社会を1つの絵にして見せるということを目標としています(スライド36)。
 A.「新たな『学び』」のデザイン開発に取り組んでいるチームの1つ、松下佳代教授のチームでは、「真正で探究的な学びを実現する教育コンテンツと評価手法の開発」という課題に取り組んでおられまして、デジタル・ポートフォリオの開発や、パフォーマンス課題を生かしたデジタル・コンテンツ開発などが進められています(スライド37)。
 御覧いただくのは、小学校5年生の単元「電流が生み出す力」、電磁石の単元の実践です(スライド38)。
少々お待ちください。
(動画再生)
【西岡氏】  従来であれば、電磁石について重要な点を順に学んだ上で、最後に「さあ、電磁石を使ったおもちゃを作ってみよう」といったような単元の展開が大半であったかと思います。しかし、この単元では、「風力最強のハンディファンをつくろう!」という単元末のパフォーマンス課題に取り組むために必要な知識・技能を身につけていく、という単元展開になっていることがお分かりいただけるかと思います(スライド39)。
 以上が、教科学習におけるパフォーマンス課題のイメージなのですけれども、一方で、「総合的な学習(探究)の時間」において、児童生徒自身の課題設定による「探究的な学習」が一層充実されるべきだという点も強調しておきたいと思います。実際、様々な高等学校の「探究的な学習」において育っている高校生の姿には目を見張るものがあります。
 たとえば、スライド40の左側の画像は、看護医療類型の生徒たちが、防災弱者を救う地域防災の在り方について探究し、求められている改革を地域の市民に発信する演劇をしている様子です。右側の画像の生徒たちは農業高校の生徒たちなんですけれども、地域の農家が肥料価格の高騰に苦しんでいることを知り、水産高校と連携して、水産ゴミを活用した肥料を開発した取組を、京大生との交流会で発表している様子なのですが、大学生たちも感嘆しておりました。
 その他にも、現在では、様々な「探究的な学習」が取り組まれています(スライド41)。そういった多様な「探究的な学習」において、児童生徒がどのように探究を進め、資質・能力を身につけ、アイデンティティーを形成しているのかというのを捉えるには、ポートフォリオ評価法を活用することが有効です。
 ポートフォリオとは、学習者が自らの作品や自己評価の記録、教師による指導と評価の記録を系統的に蓄積していくものです。また、ポートフォリオ評価法とは、ポートフォリオづくりを通して、学習者が自らの学習の在り方について自己評価することを促すとともに、教師も学習者の学習活動と自らの教育活動を評価するというアプローチです(スライド42)。
 ポートフォリオは単なるデータベースではなく、子供たちが学びのストーリーを紡いでいくものです(スライド43~44)。今では、大学入試でもポートフォリオが使われる例があります。実際に京都大学の教育学部でも、ポートフォリオを使った入試を特色入試で実施しているんですけれども、ポートフォリオを作った学生たちからは、自分の特長や達成点に気づいた、将来、挑戦したいことを思い描くことができたといった声を聞いています(スライド45)。
 続きまして、第3のポイントに進みます(スライド46)。第3は、教科における成績づけ(評定)の在り方です。私自身が指導要録改訂について議論するワーキンググループに参加したのは、前の前の指導要録改訂の時でしたが、その時は既に「目標に準拠した評価」は定着しており、指導要録の観点別評価の観点を、学力の3要素に合わせて4観点から3観点に変更するという議論が中心となりました。
 実は、私自身は、教科における「関心・意欲・態度」は「思考・判断・表現」と表裏一体のものとして発揮されるので、これらの2つの観点は統合すべきだと、当時主張したのですが、多勢に無勢で採用はしていただけませんでした。
現行の指導要録では、「学びに向かう力、人間性等」のうち、「感性、思いやり」など、観点別評価になじまないところを除いたうえで、観点別評価では「主体的に学習に取り組む態度」を評価すると整理されています(スライド47)。
 「主体的に学習に取り組む態度」の評価に関しては、「挙手の回数やノートの取り方など形式的な活動で評価したりするものではない」とされており(スライド48)、粘り強い取組を行おうとする側面と、自らの学習を調整しようとする側面で捉えるという方針を御提案いただきました(スライド49)。これらは、研究的な知見に裏づけられた意義のある御提案だったと思います。
 しかしながら、実践の現場で、これらの2側面を、思考・判断・表現の観点とは別に評価しようとすれば、粘り強い取組については、やはり「形式的な活動」で見るということに陥りがちです。また、自らの学習を調整しようとする側面を見るために、「振り返り」を書かせて、それを成績づけの資料とするという形の実践が広がっています。「振り返り」を成績づけに使えば、子供たちは教師に気に入られるような振り返りを書こうしますので、正直な振り返りができませんし、先生方も「振り返り」の採点に追われて多忙化します。
 実際に、特にこの観点の評価について、学校現場の先生方は本当に悩まれています(スライド50)。特に、3観点を3分の1ずつの重みづけで評価するように指導している都道府県では、大きな混乱、困難や形骸化が生じています。こちらの図に示したような「見取り、評価、評定」の区別を踏まえますと、粘り強さや自己調整を評価するからといって、全てを成績づけ(評定)の対象にする必要はないと考えます。
 私自身は、粘り強さも自己調整も大事だと考える立場ですが、パフォーマンス課題に取り組もうと思えば、粘り強く自己調整しながら取り組まなければなりませんので、そういった側面も、パフォーマンス課題での出来栄えを見ることに含んで評価すればよいと考えます(スライド51)。
 本来「思考・判断・表現」と表裏一体の「態度」をわざわざ観点に分けるとなれば、便宜上、無理に区別するということにならざるをえません(スライド52)。
 さらに言えば、本来、私たちが育てるべき「主体性」とはどのようなものでしょうか。スライド53に示したのは、石井英真さんが整理した「主体性」のタキソノミーですが、今、求められているのは、このタキソノミーにおけるより高次の部分、社会関係や対象世界を創りかえるようなエージェンシー、自分ごとの問いを深化させる中で構築されるアイデンティティーであろうと考えます。同じ「主体性」といっても、外発的動機づけによって受身に表面的参加をすることとは、全く意味が異なってしまいます。
 以上を踏まえ、「主体的に学習に取り組む態度」の成績づけについては、「思考・判断・表現」の観点に統合することを改めて御提案します(スライド54)。そもそも、主体的に学習に取り組まないと成績を下げるぞと言われて発揮される「従順さ」は、私たちが今目指したい「主体性」だとは考えられません。先生方の成績づけの悩みを減らし、児童生徒が主体的に思考・判断・表現するような授業への改善にこそ力を注ぐべきだと考えます。
 なお、現在では、1人1台端末が普及してICTを活用した際に残る「ログ」で「主体性」を見ればよいといった言説も登場していますが、そこで捉えられるような「主体性」はあくまで低次の「主体性」にすぎません。そのようなログによる成績づけが普及すれば、教師への忠誠競争を子供たちに強い、学校の同調圧力や圧迫感を強化してしまう懸念があります。
 スライド53で示した「主体性」のタキソノミーでいうところのより高次の「主体性」、エージェンシーやアイデンティティー形成を促すという目標を設定するとすれば、それらについてはカリキュラム全体として育っているかを見るべきですし、「総合的な学習の時間」等での姿をポートフォリオで捉えればよいと考えます。つまり、網羅的に見る発想から、最良の出来栄えを見る、あるいは、子供自身が発信する機会を保障するという発想に転換すべきだと考えます。
 それでもなお「勤勉さ」を見たいと言われるのであれば、指導要録において位置づけるべきは「行動の記録」欄でしょう。教科の学業成績に合算してしまうと、学力の実態が捉えられなくなります。
なお、イギリスでは、カリキュラム横断で汎用的スキルの成長を捉えるような検定のプログラムもありますが、そこでは、汎用的スキルが発揮された場面の成果資料をポートフォリオに残すという仕組みが採用されていました(スライド55)。
 スライド50に示したのは、石井さんが学校で育成する資質・能力を、「要素」と「階層レベル」で整理したものですが、「資質・能力」の3つの柱については、この表層のレベルではなく、この黄色に色分けしたような部分に対応していると捉えることが重要だと思います。
 改めて、教科における学力評価計画(成績づけの計画)の立て方について整理をしてみます(スライド57)。学力評価計画を立てるに当たっては、まず、観点と評価方法の対応関係を整理することが重要です。その際には、各教科の特性を踏まえた検討が必要でしょう。例えば、知識・技能については筆記テスト・実技テストで見る、思考力・判断力・表現力についてはパフォーマンス課題で見るといったような整理が可能です。
 また、成績づけの場面を精選することも重要です(スライド58)。この点については、既に2010年の時点で、「授業改善のための評価は日常的に行われることが重要である。一方で、指導後の児童生徒の状況を記録するための評価を行う際には、単元等ある程度長い区切りの中で適切に設定した時期において『おおむね満足できる』状況等にあるかどうかを評価することが求められる」と述べられていました。
 2019年改訂においても、観点別評価の評価時期は単元や題材のまとまりごとでよい、複数の単元や題材などにわたって長期的な視点で評価することも可能とされました。指導要録をつけなくてはならないのは、本来、年に1回だけですので、学期ごとの成績づけは、学年末の評価に向けた途中経過が分かれば十分だと言えます(スライド59)。
 実際に、生徒たちの特に「思考力・判断力・表現力」は、かなり長期的な見通しのもとで育成・評価することが重要です。パフォーマンス課題を用いる際には、包括的な「本質的な問い」に対応させて、類似のパフォーマンス課題が複数用いられることがあります(スライド60)が、そうしますと、同じ生徒でも、生み出す作品がこれぐらい変わってきます(スライド61)。成績づけの際に、出来栄えの悪かったときの作品と、よくなった後の作品を足して2で割るのはナンセンスですので、伸ばしていった最終到達点で評価することができます。
 なお、このような作品の質の違いを捉えるためには、評価基準としてルーブリックが用いられます。ルーブリックは、パフォーマンスの質の違いを数レベル程度で捉える尺度と、それぞれのレベルのパフォーマンスの特徴を説明する記述語から構成されます(スライド62)。また、ルーブリックは、実際の子供たちの作品をレベル別に分類して作ることができます(スライド63)。
このようなルーブリック作りを行うと、指導の改善すべき点も明瞭になってきます。
先ほどの社会科の例でいえば、日々の授業を単元末の課題と関連づけつつ、知識・技能を習得させる、あるいは、草稿が書けた段階で生徒同士のディスカッションを行い、因果関係を捉える思考力を深めさせるといった指導の工夫が編み出されていきました(スライド64~65)。
 最後に、第4のポイントに進みます(スライド66)。それは、カリキュラムと評価の改善を促進する仕組みの構築についてです。現行の学習指導要領においては、各学校におけるカリキュラム・マネジメントの実現が重視されています。教育課程(カリキュラム)の編成主体は各学校であり、カリキュラムをよりよくしていくためには、各学校が組織としてカリキュラムをつくり、動かし、変えていく、継続的かつ発展的な課題解決の営みであるカリキュラム・マネジメントが重要です(スライド67)。
 実際に、各学校のカリキュラム改善・改革のための取組を見ますと、何らかの形で管理職や研究主任などの推進グループがカリキュラム改善の目標を設定し、全教員で理解を深めたり、グループで改善策を実践し、成果と課題を確認していったりといった形で進むことが多いかと思います(スライド68)。実際、各学校で数年間の見通しをもってカリキュラム改善に取り組むと、劇的にカリキュラムは改善されます(スライド69)。
 そのような各学校のカリキュラム改善を推進するために、各学校の先生方が参考にできるような資料サイトの拡充が図れないだろうかということも考えます。京都大学大学院教育学研究科E.FORUMでは、全国の先生方に研修を提供したり、「本質的な問い」「永続的理解」やパフォーマンス課題の事例集のサイトを作ったりしてきました(スライド70)。
 しかし、1人1台端末が普及する現在では、先ほどの松下先生たちのチームがSIPで開発されているようなデジタル・コンテンツを一覧できて、適宜、教師たちや子供たちが活用できるようなサイトがつくれないものだろうかと考えています。実際、アメリカでは、そのようなサイトが構築されており、先生方がより少ない労力で、より質の高い授業をつくる助けとなっています(スライド71)。
 なお、教科書については、現行のものでも、パフォーマンス課題に類するものが多数掲載されています。しかし、実際に現場で実践されているかというと、教科書会社が提示している年間指導計画の中でも、その課題を実践するのに十分な時間が配当されていなかったりします。パフォーマンス課題については、全ての単元で用いる必要はありませんので、掲載する単元を精選したり、複数の類似の課題を載せておいて、そのうちどれか1つをすればよいといった選択必修の形にできるとよいのではないかと考えています(スライド72)。
 さらに、パフォーマンス課題を実践するという視点から見ると、単元展開や教科書に掲載したい中身が変わってくる側面もあります(スライド73)。基礎をやっていって最後に突然、応用・総合させるという発想ではなく、先ほどの理科の動画でも御紹介したように単元の最初からパフォーマンス課題を示し、その課題に取り組むことを見通しつつ、知識、スキルを身につけ、それを総合して活用するような単元展開になります。
 一方、学習指導要領については、引き続き、扱われる目標・内容と、身につくことが期待される「資質・能力」を規定するものとして位置づけ、単元の指導の展開など指導方法までは規定すべきではないと考えています(スライド74)。個々の子供たちのニーズを最も把握しておられるのは学校現場の先生方であり、教育の質を高めるためには、それぞれの先生方の創意工夫を励ますことが必要不可欠だからです。
 ただし、要素として身につけるべき知識・スキルと、それらを総合して発揮される思考力・判断力・表現力という学力の構造をより意識していただきやすくできるように、記述の形式を変える可能性はあると考えています(スライド75)。たとえば、米国の次世代科学スタンダードは、科学的・工学的実践、学問上の核となる概念、領域横断的な概念を総合して力を発揮する姿として、期待されるパフォーマンスを示すというような構造で記載されています(スライド76)。
また、全米音楽教育スタンダードでは、幼稚園から第8学年までを貫く「本質的な問い」と「永続的理解」を明記する形で整理がされています(スライド77)。
日本においても、ある高校の英語科では、英語科の目標・評価基準を、長期的ルーブリックとチェックリストを組み合わせる形で整理した例があります(スライド78)。こちらは、その高校の年間指導計画です。重点目標と下位目標を組み合わせる形で目標が整理されており、それに対応する評価方法が示されています。また、学年末までに目指される到達レベルが示されており、これは先ほどの長期的ルーブリックに示されたレベルに対応しています(スライド79)。
 以上が、教科のスタンダードのバリエーションですが、一方で、「総合的な学習(探究)の時間」では、引き続き、細かなスタンダードを設定せず、各学校の裁量を認めることが重要だと考えます。それにより、各学校の目の前の子供たちのニーズに応じて、先生方が本当に必要だと考えるカリキュラムをつくることができるからです。たとえば、児童虐待によるトラウマを抱えた子供たちのために、生野南小学校で開発された「『生きる』教育」は、その一例だと考えます(スライド80)。
 最後に、高大接続改革についても、少しだけ触れさせてください。現在、いわゆる“大学全入時代”を迎え、高等学校における学力水準の確保、学習意欲の向上、学力構造の捉え直しが求められています(スライド81)。日本学術会議の高大接続を考える分科会は、高大接続が「セグメント化」している状況を指摘しています。現状では、学力水準を確保する仕組みは実現されておらず、学習意欲の格差が拡大し、保障されている学力の構造もバラバラです(スライド82)。
 2020年の高大接続改革においては、自由記述式の問題の導入や、高校時代の学習履歴を評価する仕組みは議論されましたが、高大接続においてパフォーマンス課題の活用を目指す議論はほとんどなされませんでした(スライド83)。しかしながら、ヨーロッパの大学入試においては、パフォーマンス課題を活用する形がむしろ一般的と言えます。そのことは、例えば国際バカロレアにおける各教科の評価の在り方を御覧いただけると分かりやすいかと思います(スライド84)。
 そこで、日本においても、新たな高大接続システムを構想すべき時期に来ていると考えます(スライド85)。日本版のIBをつくるのがよいのか、調査書の比較可能性を高めるのがよいのかはわかりませんが、いずれにせよ、まずはボトムアップでスタンダードをつくっていくような仕組みが必要だと考えます。そのような学校を超えたスタンダード開発の例として、京都府乙訓地方における8校の中学校が開発した「乙訓スタンダード」や、近畿・北陸のSSH8校が開発した「標準ルーブリック」があることを御紹介しておきたいと思います(スライド86~88)。
 本来、教育評価は、教育の改善のために教育を評価する営みを意味しています。この本来の意義に立ち戻れば、子供たちの学習評価だけでなく、各学校がカリキュラム改善に生かすカリキュラム評価や、各学校の取組を支援する教育政策や教育諸条件の評価も重要だということを確認しておきたいと思います(スライド89)。
 御清聴いただき、ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。これからは、今の西岡先生からの御発表を基にしながら、意見交換の時間というふうにさせていただきます。御発言がある方は、挙手をしていただき、私のほうから指名をさせていただきます。
 いつものような進め方をさせていただきます。また、オンライン参加の委員におかれましては、挙手ボタンを押していただければということでお願いしたいと思います。例によって、どなたからでも結構ですので、発言の御意思のある方は意思を表示していただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
【高橋委員】  なければ、私でいいですか。
【天笠座長】  それでは、高橋委員からお願いいたします。
【高橋委員】  ありがとうございました。大変、勉強になりました。私からは、これが専門というよりかは、先生の本とかを読ませていただいて、どちらかというと実運用している立場からの質問をさせていただきたいなというふうに思います。まず1つは、やはり文部科学省のほうの御説明でいうと、目標準拠型であるということが、文科省の資料でいうと、12ページの上に、1行目のところに、目標準拠評価というふうに書かれております。やはり、これは先生方にとってすごく根強い意識だというふうに感じています。
 一方で、先生、御紹介にあった、ポートフォリオのところである様々な先生のお話とかを聞いていくと、ポートフォリオに関しては、どちらかというと目標準拠というよりかは、やはりその子自身、一人一人の成長を願って、よりよい学習を進めていくための評価法のようにも感じますし、その後、出てくるルーブリックとかだと、目標準拠型のようにも見えますし、その辺りの関係とか、使い分けというところを日頃悩んでいるところがありますので。先生、一生懸命頑張ったのに、結局最後のルーブリックみたいなところにかけると、そうでもない評価になってしまって、がっかりするみたいなことも若干あったりもするので、その辺りについて伺いたいというのが、1つです。
 もう一つは、こういった話はやはり10年、20年、ずっと語られてきている中で、なかなか普及しないという課題があるというふうに思っております。特にこの10年間で、こういう学習評価の考え方というか、具体的な方法として、何か進化した評価法とか、高度になった評価法、特に普及可能なレベルとして、何かそういう知見がございましたら、御紹介いただきたいなと思っております。
 以上、2点です。
【天笠座長】  これまでの進め方として、原則としては、一問一答形式はできるだけ控えさせていただいて、後で委員の方から全体を引き受けていただくというふうな、そういうやり方をしています。
 ただ、今の御質問は、また、これからの委員の方の意見ということと非常に関わってくる部分はあるんじゃないかと思いますので、そういう点からして、西岡先生、今の高橋先生からの御発言について、コメントいただけるところについて、お願いできればと思います。よろしくお願いいたします。
【西岡氏】  私自身は、教科であれ、総合学習であれ、「目標に準拠した評価」と個人内評価を内在的に結合させながらやっていくべきだろうというふうに考えています。例えば、総合学習でポートフォリオを使う場合、教科のような(例えば「知識・技能」を活用する「思考力・判断力・表現力等」というような)細かいレベルでの目標は設定されていないわけですけれども、でも、例えば課題設定力が身についているかとか、資料収集力が身についているか、あるいは、それを整理して、自分なりの問いを立て直すことができるような論理的思考力が身についているかというような、ある程度、方向性を持った目標というのはあるわけです。その点では、「目標に準拠した評価」だというふうに思っています。
 実は、「総合的な学習の時間」に関して言いますと、本当に様々な学校で多様な実践がされていますので、なかなか一様に語れないんですけれども、例えば、学校によっては、生徒自身が問いを立てて探究をするというようなことの指導スタイルが、まだイメージできていないというような学校もありますよね。
その場合は、とにかくポートフォリオを使って、お子さんが何に問題意識を持っているか、あるいは、それまでの学習履歴を見ると、どんな可能性を見つけることができるか、まずは子供さんに寄り添って見ていただきたいので、あまりアプリオリに目標や評価基準を考えるということをお勧めしていないんです。
 ところが、私のスライドで言いますと、最後の方、88枚目のスライドで紹介しているSSH8校が共通のルーブリックをつくった例、これはSSHでやっているものなので、課題研究や理数探究、理科の範囲内ではありますけども、生徒たちがかなり自由な課題を設定しながら、探究をしていくというようなスタイルでやっているものなんですが、これらのSSH8校は本当によく似たカリキュラムをやっています。
お互いに発表会を見に行ったら似たようなことをやっているねと言いながら、じゃあ、今、8校でやっている探究というものが、どういう目標レベルのステップアップを目指しながら探究の指導をしているのか。レベル1からレベル2、レベル2からレベル3にレベルアップさせるときに、先生方はどんな指導、手だてを打っているんだろうかということを、共通理解するということを目標にして、それは共有財産化していきたいと考えられました。
 各校で先生方の入れ替わりもあれば、SSHの責任として他校に知見を普及していくという責任も感じておられる。さらに言えば、大学に対して、決してコンテストで優勝することを目標としてやっているわけではないということをアピールしたいというような思いをお持ちだった高校の先生方が、ルーブリックの形で評価基準を整理されたということです。
このように、一概に言えないんですけども、私は「目標に準拠した評価」と個人内評価というのは、両方、あらゆる領域で必要だというふうに思っています。
 教科の場合は、まさしく「目標に準拠した評価」を「個人内評価」と結合して、個人の成長を捉えるような形で整理をしようとしているのがルーブリックなんじゃないかなと考えています。つまり、例えば国語で、グループで話し合う力をつけようという授業をやったときに、最初は、子供たちはレベル1からレベル3に分布しているわけです。グループで座っていても、ただ黙って聞いている子と、一応話合いには参加してしゃべっている子がいるという時に、レベル1の子はレベル2、レベル2の子はレベル3、レベル3の子はレベル4に上げていくように指導を改善していくことをめざします。例えばこのレベル3の子に、黙っている子を放ったらかしにしないで言葉がけができるんだよとか、ただ自分の言いたいときに意見を言うだけじゃなくてお互いの意見を関連づけたり、ちょっと人に配慮しながら言葉がけをしたりというレベルまで行くと、レベル5になるよというような感じです。指導する時に、必ずしも子供たちにレベル1、レベル5と言うわけじゃないんですけども、そういう成長発達というものを先生が見通しながら、全体を上げていくというような指導が可能になりますので、これは「目標に準拠する評価」と個人内評価を結合している形だというふうに思うんです。
 ちょっと瑣末に聞こえてしまうかもしれないんですけど、私は「ルーブリック評価」という言葉が流布するのは困ったものだと思っております。ルーブリックというのは、あくまでパフォーマンス評価で用いられる評価基準表のことなんです。「ルーブリック評価」という言葉になぜ抵抗感を感じるかというと、ルーブリックは、まず目標があって、評価方法の転換があって、ルーブリックが作られるという順番でないといけないのに、ルーブリックを先に作ってしまうと、この枠のどこに子供が分布するかみたいな目で見てしまう。
今までの目標観が転換していないところでルーブリックを作って、ルーブリックに照らして評価をするということが目的化してしまうということに非常に危険性を感じているので、どっちでもいいんじゃないかと言われるかもしれないんですけれども、「ルーブリック評価」という言葉は間違っていると思っています。
 それから、10年、20年で普及した新たな評価方法があるかということなんですけども、本当におっしゃるとおり、私、20年同じことを言い続けています。ただ、20年前は、「パフォーマンス課題、何ですか、それ」と言われました。次に、「日本の学習指導要領というのはかなり内容が濃いのでできない」と言われましたね。
 でも、それでも、やっぱり子供たちに思考力・判断力・表現力を身につけさせたいと思われたり、あるいは、それこそ、「先生、何で社会科を勉強しなくちゃいけないんですか」とドアを蹴って教室を出ていく生徒に直面された先生が、何とか教科内容も保障したい、生徒たちに社会科を学ぶ意義も伝えたい、パフォーマンス課題に何か可能性があるんじゃないかと思ってやってくださった。
 そのようなモデルが徐々にできていて、それをまねしながらやってくださる先生が広がって、今では教科書にもパフォーマンス課題がいっぱい入っているので、今、私が中学校に入って研修をやるときの雰囲気の違いにびっくりするんです。課題をやること自体は、先生方もほとんど抵抗感がないんです。でも、その課題に向けて力を育てるような指導の組立ての発想の転換というところが、今、課題になっているなというふうに思います。
 評価方法として新たなものが出てきたかというと、もちろん、高橋先生が御研究されているようなデジタル・ツールがどう使えるのかというところは、これからの研究課題だと思っています。
【高橋委員】  ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。委員の方からの御意見をお願いしたいと思います。
 今、秋田委員のほうから御発言を求めるお手が挙がっておりますけども、ほかの委員の方、いかがでしょうか。それでは、お待ちしたいと思います。秋田委員のほうからお願いしたいと思います。よろしくお願いいたします。
【秋田座長代理】  西岡先生、とても体系的に評価の話を出してくださり、このような形でおまとめいただいて、とても刺激的でありました。私自身は、学習指導要領の検討と、それから、その後にいつもカリキュラムと別に評価の会とかワーキングからの報告書が出されて、付け足しのように評価の議論がカリキュラムに応じてつくられてきたのに対して、今回の会議は、このカリキュラムの中に評価の議論を入れ、評価の視点から、またカリキュラムがどうやったらいいかという、そういう位置づけの中でこれが御提案されているということに、とても大きな意味があると思いました。
 その上で、2点、伺いたいと思っています。1つは、54ページの辺りのことであります。今回、主体的に学習に取り組む態度について、粘り強くと、それから調整しようとするという工夫の中で、新たな改訂というんでしょうか、学習評価の考え方を出したわけです。それに対して、54ページのところには、そういうことをしないで、それは思考・判断・表現に全部統合して、それを総合での中でポートフォリオで見るとか、それから、パフォーマンス課題で見るというような形はどうなのかという御提案かと思います。
 私自身は、例えばこの2つの2軸で見るという評価の考え方は残しつつも、例えばこの2つは、パフォーマンス評価というものを使っていくことによって、よりよく見れる。決してパフォーマンス評価があれば、この2軸がオーケーなのではなく、多様な見方がありますということは、学習の評価の前の在り方ワーキングのハンドブックでも書いているわけです。その中に、パフォーマンス評価という見方を使えば、こういう方法はこの2点がとてもよく見えますよという形で、今後記していく方向もあるのではないかと、私自身が思っております。主体的に学習に取り組む態度は、観点として、思考・判断・表現に統合するというかなり大胆な統合の意見や見方に対して、やや疑問も感じます。
 私などは、前のワーキングの委員だったということもあって、やっと変えたのに、新たにまたこれは統合したらどうかという御提案に対しては、この辺りをはっきり書いていらっしゃるんですけれども、どうなのかというところを、1点、より詳しく伺いたいというところです。
 それから、もう一点としては、ポートフォリオで見るというところです。42ページ辺りからで、やっぱり評価は、教師や第三者の評価だけではなく、自己評価であったり、相互評価だったりで、子供自らが評価の視点を内在化できるということが、学習者を育てていく上で、私は重要だと思っています。その意味で、先生が単なるログとか、ただ情報のつづりでデータベースを貯めていけばいいんじゃないんだということを、44ページ辺りで書かれています。そのためには、こういうポイントがポートフォリオでありますよということを、具体的に示してくださっているところがとても大事だと思うんです。
 実際に、このような定期的なポートフォリオ検討会とか、こういうポイントを授業の中で、どうやって入れるだけの時間があり得るのかとか、ポートフォリオは重要だと思う一方で、このポートフォリオの使い方を子供自らが学ぶための指導を教師が身につけていくということはどうやったら可能なのかは、とても重要な視点だと思うだけに詳しく伺いたいと思うという次第です。
 以上、2点になります。
【天笠座長】  今の秋田委員の最初の御発言の中で、今日の西岡先生の御発表が、学校評価につきまして体系立ててというんでしょうか、系統立ててお話しされたのではないかと。私も非常にそのことを、今日感じるところがありました。義務の段階、それから高等学校の段階、それから大学入試の段階、それから大学の評価ということですけども、その辺りのところ、今度は少し変えていくと、どう捉えていったらいいのか、どうなのか。
 義務は義務段階なりの特徴的な評価の在り方とか、高等学校は高等学校なりのという、学校種別、大まかなそれなのか。それとも、つなげるというか、両方は当然あり得ると、あるんじゃないかというふうに思うわけですけども、その辺のところでどうなのか。それは、恐らく学習指導要領の記載との関わりというところにも出てくる可能性になってくるのかもしれません。
 どちらかというと、現行、義務から高等学校まで、大体全部一体となってというのが、今日の傾向であるかと思うんですけども、そこら辺のところにまた後ほど御見解をいただければと思うんですが。
 今、市川委員のほうから手が挙がっていますので、市川先生、御発言をお願いします。
【市川委員】  市川です。西岡先生、ありがとうございました。私も、西岡先生のお話を時々伺っていて、八、九割は私はすごく納得できるし、確かにそうだなと思うんですけれども、今回また伺っていて、2つの点でちょっとよく分からないというか、私も評価のワーキンググループの主査としても、ちょっと言っておかないといけないなと思うことが、2点だけあります。
 1つは、まず学びに向かう力と、それから評価でいうと、主体的に学習に取り組む態度、これがどう対応しているのか。このワーキンググループが出したものを見ると、人間性の部分というのはちょっと別として、すると、残ったものは、3つの柱でいう学びに向かう力、これと、主体的に学習に取り組む態度というのは、ほぼ対応関係にあるように見えると思うんです。
 私もそれでいいと思うんです、ほぼ対応関係にあるのだろうと。すると、なぜ言葉を変えたんだということが問題にもなりますが、とにかくこの2つはニアリーイコールなんだと。学びに向かう力というのと、主体的に学習に取り組む態度ですね。それぞれがいったいどういうものかというところで、これは、私は文科省がこれまで出してきたことにもやや整合しないところがあったと思いますし、一般の教育界でも、かなりこれがニアリーイコールではなくて、むしろ混乱していると。
 私は、混乱の基にあるのは、今日、西岡先生もお話になった学びに向かう力、人間性、これの説明として、これは中教審がつくったものではなく、文科省が後からつくったスライドですけれども、学びを人生や社会に生かそうとすること、というふうに要約されているんです。
 ところが、主体的に学習に取り組む態度は、そうではありません。むしろ、今の学習にどうやって取り組んでいくか、今の勉強をどうやって遂行していくかということに、かなり即した表現がなされています。それが粘り強く取り組むという側面と、それから、もう一つは、自分の学習を調整するという側面です。
 この文科省の出したスライドに当たるのは、これからの学びに向かっていくということで、学びの生かし方なんだろうと思います。ところが、主体的に学習に取り組む態度のほうというのは、今の学習の進め方なんです。学習の進め方という表現は、その後も教育課程課が出したものにも出てきますね。ある意味分かりやすいと思います。今の学びをどうやって進めていくかという力です。
 この2つの意味がごっちゃになって使われている。これは、教育学者によっても解釈が違っていたり、現場でも解釈が違っていたりします。ただ、どちらかというと、学習評価ワーキンググループの報告書とか、学習評価ハンドブックとかを見た方は、学びに向かう力というのはニアリーイコールで、主体的に学習に取り組む態度なんだと。それは、今の学びをどうやって進めていくかという力、これは習得も活用も探究も含まれる、というような解釈に割と落ち着いてきているのではないかと思います。
 まず、この学びに向かう力ということと、主体的に学習に取り組む態度との関係というのを、今後もう少しすっきりさせていかないと、議論は非常に混乱する。3つの柱で学習指導要領が求めているものは何かということと、評価で見ようとしていることが何かということも混乱しますので、私は両方含めてもいいと思うんです。学びの生かし方ということと、学びの進め方、両方含めるなら、両方含めると、どちらかならどちらかだというようなことでしていかないと、かなり議論が混乱するかなと。これが第1の点です。この点、西岡先生はどう捉えていらっしゃるのかですね。
 それから、もう一つの点なんですが、今日、西岡先生も持論として主体的に学習に取り組む態度というのは、思考・判断・表現のほうに統合してしまえばいいというふうにおっしゃった。先ほど多勢に無勢とおっしゃったんですけど、一応多勢とまとめ役の立場から言いますと、そこは統合すべきではないんじゃないかと、やっぱり別ではないかという議論が多かった。
 1つには、やっぱり、教育界での歴史的な議論からいっても、学習力という言葉を使った方もいらっしゃいますよね。この学習力に当たるのが、主体的に学習に取り組む態度のことなんだと。これは、思考・判断・表現がどちらかというと、中身の高さ、どれくらい深い思考をしたか、高い思考をしたか、いい判断をしたか、高い表現力を持っているかとか、これは中身に関わることです。
 それに対して、主体的に学習に取り組む態度のほうは、よく教育心理学でも言われますけど、学習意欲、メタ認知、学習方略、こういうことはどうやって学びを進めていくかという力であって、思考・判断・表現とイコールではないと。中には、非常にいい取組をしているけれども、何か認知的な問題があったりして、それが結果としては高くないけれども、頑張り方というのは非常によくやっているというようなことは、ちゃんとそれはそれとして評価するべきだろうというような議論もあって、現場の先生からも、これはやっぱり区別したほうがいいと。
 教育心理学のいわゆる学術的な分野の中でも、やっぱりこれは思考・判断・表現と同列ではないと。わざわざ「メタ」がついているくらいですので。思考・判断・表現は学んでいる対象についてどのぐらい深い認識を持っているか、自分で考えているか、それを表現できるかという中身のレベルの高さが関わってくるわけですけれども、主体的に学習に取り組む態度は、内容のレベルの高さというよりかは、どれくらい工夫をしようとしているか、あるいは頑張っているかということに対する意思的な側面です。学び方のスキル的なことも入ってきますけども、それは結果としてのレベルの高さとは必ずしもイコールではないので分けようということになったのだと、私は理解していますし、そういうような説明をすると、なるほどと言ってもらえることは、この数年間、多いと思っています。
 以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。先ほどの秋田先生と、それから今の市川先生の御意見につきまして、西岡先生のほうから何かお答えできることがありましたら、お願いします。
【西岡氏】  まず、体系的だと褒めていただいた資料なんですが、私、1か所、誤字があったことに気がつきました。54枚目のスライド、今、非常に注目していただいているスライドなんですけれども、これ、「主体的に学習に取り組む態度」の「評価」ではなく「評定」の在り方とすべきだったというふうに、今、思いました。
 評価と評定の違いは、スライド50に載せております石井さんの図の通り、「評価」は、先生方が授業やカリキュラムにおいて御覧になるところだと思います。しかしながら、成績づけ(「評定」)にそれをすべて入れるかどうかということは別だと思うんです。
 例えば、逆にお聞きしたいんですけど、先ほどの理科のパフォーマンス課題の動画で、子供たちが探究的にというか、パフォーマンス課題に向けて意欲を発揮し、思考を働かせ、何とか問題解決しようとしている姿がありましたよね。あれのどこからどこまでを思考・判断・表現にして、どこからどこまでを態度だというふうに分けて成績づけができるんでしょうか。何とか分けてやろうということで先生方が編み出されるのが、「振り返り」を書かせるというようなことなんですけれども。
 例えば、書いている資料のほうが分かりやすいので、最後に御紹介している、伸びを見せた社会科の例があると思うんです。61枚目のスライドに入れている、この中学校の社会科の例なんですが、これは、「社会はどのような要因のもとで変化していくのか? どのように社会を変えていけばいいのか?」というような問いについて探究していったものです。左側にあるのが、「明治維新の前後で人々、社会はどのように変わったのか? それはなぜだったのか? どのように社会を変えればよかったのか?」ということについて、新聞記者のつもりになって書いてみようという記事が左側です。
 右側は、現代史だったので、日清・日露の戦争、それから第一次世界大戦・第二次世界大戦という歴史事実を学びながら、「なぜ戦争が起こってしまうのか? どうすれば戦争を防げるのか?」ということについて、自分なりに意見を組み立てて、より説得力があるように考えてみようというような課題です。
 それに取り組むプロセスで、生徒たちは64枚目のスライドに示したように、授業で単にぼうっと聞くんじゃなくて、「政治的な要因が一番大きいのかな、経済的な要因が一番大きいのかな、いや、文化かな」と考えながら、先生から聞いた事実を分類するわけです。
 「自分が思うにやっぱり条約・同盟が一番大きい要因になるんじゃないか」とかって考えながら、メモをとるわけですよ。メモをとったことを積み重ねながら授業をすると、あるグループの生徒たちは国際政治が大事だと思っていたんだけれども、経済が大事だと思う生徒たちから「いや、あなた方は国際政治が大事だと言うけれども、条約や同盟なんて、その時々の経済的な要因によってどんどんつなぎ直されるじゃないか。その証拠がここにある」と言って、資料集の資料はここだとか言って見せられるわけです。
 そうすると、周りの子たちは、「ああ、こういうふうに資料を使いながらしゃべると、効果的なんだな」ということを友達の姿に学び、「条約・同盟がやっぱり大事だと思うけど、ああ、そうか、その条約や同盟の背後には経済的な要因、文化的な要因が絡まり合って動いているものなんだな」と分かって、表現していくわけです。
 全てが混然一体となって作品の中に現れてくるため、この子はここまで考えることができたなと見れば、そこに態度はおのずと織り込まれているので、あるいは学習方略的なものは織り込まれているので、わざわざ切り離して成績づけをする必要はない。
 先ほど市川先生がおっしゃった意欲と方略は全然違うと思うんです。方略というのは、やっぱり認知的なプロセスとして、そこら辺は私は心理学の先生方にむしろ教えていただきたいところですけれども、方略というのは認知的に、「ああ、そうか、こういうふうに資料と関連づけながら思考を組み立てるといいんだな」とか、「より説得力を持った語りをつくるためには、反論を意識しながらつくっていくといいんだな」とか、いろんな方略があると思うんです。
 そういうのを使いながらやるので、その方略を個々に身につけているかを見るのだったら知識・技能のところで見ればいいと思うんですけれども、それが実際に使えるようになっているかという点はパフォーマンス課題で見られるというふうになってきますので、方略に関しては、私、確実にパフォーマンス課題の中で見られると思います。また、テストで見ることもできると思います。
 意欲ですが、私、十数年前に市川先生が座長を務めておられたワーキンググループでの議論をまざまざと覚えているんですけれども、ある先生がおっしゃったのが、「授業で寝ている生徒がいれば、それは意欲はないって、見れば分かるだろう。レポートを書かせて、5枚でいいと言っているときに、10枚で返ってきたら、意欲があるだろう」とおっしゃったんです。
 「寝ているような授業をしているあなたの授業は問われないんですか」と、私は思いましたし、「10枚書いたら成績がよくなるんだったら、最初から10枚書くように言うべきでしょう」と、正直思いました。怒りに震えて発言できなかったので、議論に負けたんですけれど。その後悔を持って、今日は反論しに来ていますので、十数年越しの反論タイムということで、ちょっと興奮しています。
さらに言えば、寝ている子たちがいる時に、中には生活苦でバイト疲れしている子だっているわけですよ。そういう子たちに対して、学習意欲がないから成績を落とすというのがやっていいことなのか、と本当に言いたいです。
 先ほど市川先生がおっしゃった「学びに向かう力」と「主体的に学習に取り組む態度」の違いに関して言えば、私は53枚目のスライドに載っている石井先生のタキソノミーは相当よく考えられているなと思っています。方略的な工夫ですとか、試行錯誤のところは教科学習で見られるけれども、自分事の問いを進化させていったり、自分はどの問いにこだわって生きていきたいんだろうかとか、社会にどういうふうに関わっていけるんだろうかとか、そういったところを育てるというレベルになってくると、やっぱり各教科の中でやるにはあまりにも過密なんです。
 満遍なく各教科に関心を持ってくれれば、それはそれでいいですけれども、別に私、ちゃんとその教科の力がついていれば、ものすごくこの教科にこだわりたいというほどの意欲は持っていなくてもいいんじゃないか、それぞれ、子供たち、個性的でいいじゃないかと思っています。教科で「ここまでは君たちのために身につけてほしいんだよ」という力をちゃんと精選して、そこまでは身につけさせるということは、方略も含めてやるべきだと思いますけれども、粘り強く自分がどの問いに向き合っていきたいか、どう生きていきたいか、どう社会に関わっていきたいかというところは、何か1つでいいから、こだわりが見つけられるようなカリキュラムをつくっていく。
 先ほど御紹介した農業高校の生徒さんたちも、入ってきたときは、そんなにプライド高く農業をやるぞと思っているわけじゃない。だけど、実際にフィールドに行って、困っている農家さんに出会うと、しかも自分たちがこの農家を助ける仕事ができるかもしれないというと、本当に姿が変わっていって、ふだんだったら捨てられている水産ごみを、水産高校からもらってきて、肥料を開発して、売っている化学肥料に負けない栄養価があるかというのを実験で調べてやっていくわけですよ。
 その子たちにとってそれが大事だったら、その大事さを大事にできる力を育てるという点で、ポートフォリオなどで「ああ、この子はこういうふうに学んできたんだな」ということが見えればいいんじゃないかなというふうに思うんです。
 ポートフォリオに関して言いますと、時間がどうかという御質問を秋田先生にいただいたんですが、総合学習が週に2時間ありますよね。ポートフォリオ検討会に関して言えば、1学期に1回でいいから検討会をやっていただければいいんですよというふうに申し上げます。総合学習の場合は、調べ学習をしたり、まとめたり、個人ワークをする時間が結構ありますので、例えばグループ別に順番にローテーションを組んでおいて、「どんなふうにやってきたの? 何に困っているの? 何が達成できたの?」って、先生が聞くわけです。
そうすると、生徒のほうが、「ここまでできたんだけど、こういうところで悩んでいる」といったこと言ってくれますので、「そうしたら、次に、こういうやり方と、こういうやり方とがあるけど、どれが一番やりたい?」みたいな感じで対話をしていただくと、やっぱりすごく伸びるんです。
 たとえ1学期に1回でも、そういう対話をじっくり、個々の生徒だったり、グループだったりとやっていただくと、ポートフォリオを使った先生方からは、本当に子供の見え方が変わる、子供の姿も変わるというふうに伺っています。
【天笠座長】  最後にまた御発言をお願いしたいと思いますので、今御発言を、奈須先生が表示していますので、奈須先生にお願いし、続いて、その後、石井先生、この順にお願いしたいと思います。
 奈須先生、お願いいたします。
【奈須座長代理】  よろしくお願いいたします。西岡先生、ありがとうございます。まず感想なんですけど、評価論というのが、目標論、学力論の裏返しであり、子供の姿、教師の営み、カリキュラムの具体化や体系化を促すことなんだということを、また改めて西岡先生のお話で確認できたかなと。どうしても、評価論というのは、カリキュラムがあって、授業があって、その後だというふうな位置づけになってきましたけど、そこもすっかり変えなきゃいけないんだなということが、また強調されたかと思います。
 それから、診断、形成、総括といった評価の中で、診断的、形成的評価の意味と、総括的評価の意味は全く違うし、どんな評価作業をやるかも全く違うんだと。これはまだまだ現場に浸透していないし、政策的にも明確に示せていないかと思います。ついつい総括評価のこととして、全てをやりがちだと、ここは本当に考えなきゃいけないなということを、改めて確認させていただけたと思います。
 まず、細かいことを2つなんですけど、1つは、ハンディファンの実践、とてもすてきな実践で、やっぱりそのパフォーマンス課題ベースの単元構成になると、本当に子供は変わるなと、私もそうだと思います。そして、お話があったように、かつてこういうのは少なかったわけですけど、今、本当に教科書にもたくさん載っていて、やってくれればいいのに、実際の授業はそうならない。見開き2ページずつをばらばらにやってしまって進めていると。
 これは、途中で、先生がおっしゃっていましたけど、やっぱりどうしても、僕らは授業を1時間、1時間で考えがちで、単元という概念で考えていなかったというお話がありましたけども、このことはすごく大事。現行の学習指導要領の総則で、単元という概念は復刻したわけですよね。22年、26年の学習指導要領では、単元というのは、内容と方法を結節する中核的な概念でした。33年指導要領以降、単元という言葉は表から消えています。
 社会科以外では、ほぼ明確に使われてきませんでしたが、実際にカリキュラムをつくり、授業を設計する上で単元というのが、つまり子供にとっての学習過程におけるまとまりということですけれども、これを明確に復刻させた。教科によっては、題材と言いますけれども、このことも総則には書いてあるけども、まだまだ具体化が進んでない。パフォーマンス課題にするとか、評価を見直すことで、この単元という概念の実際的な復刻というか、もっと強調もできるなと思いました。
 それから、もう一つ細かいことですけど、目標準拠評価を基準にやっていくんだと。でも、それでやっていくと、どうしてもその目標ばかりで子供を見がちで、多様な子供の姿を逃すという御批判はよくあって、逆向き設計に対する批判としてもよく言われるので、西岡先生も耳が痛いかと思いますけれども、だからこそ、個人内評価を組み合わせていくんだということですよね。
 言葉なんですけど、個人内評価ということはいろんなニュアンスがあると思いますが、目標準拠評価の評価基準に即して個人の過去と現在の時間的変容を見ていく、つまり目標には到達していないんだけど、以前から見れば、この単元でぐっと伸びたのは評価しようという話が1つありますよね、個人内評価としてね。
 もう一つ、ゴールフリーエバリュエーション、目標にとらわれない評価という表現もありますよね。これ、ちょっとやっぱり違うんだろうと思っていたり、この辺りの用語整理、必要かと思います。つまり、個人内評価というのが、本当は幅広く捉えれば、目標にとらわれない評価も含むんだと思いますが、どうしても現行では、目標として示したものが、到達はしていないけども、その個人の中では十分に伸びたんだから、それは認めていこうよという話として使われているようなきらいもあってね。
 つまり、目標にとらわれない評価というのは、目標準拠評価とか、教師があらかじめ想定したものとは違うけれども、価値的な学び、すてきなところがあれば、見ていこうという話じゃないですか。この辺りの目標準拠評価を補完し、豊かで個性的な成長を支える評価の在り方としての個人内評価とか、目標にとらわれない評価といった辺りの概念整理は必要なのかなと思って、考えていました。
 また、誤解がないように言うと、これは知識・技能や、思考・判断・表現も含めてやられていかなきゃいけないんだろうと思っています。
 3つ目が、さっきからずっと話題になっている態度の部分なんですけども、これ、本当に悩ましくて、今回、これまでの議論も総括しつつ、場合によっては批判も受けるでしょうが、変更も含めて議論する必要があるなと、私は個人的に思っています。
 それに対して、西岡先生の今日のお話はとてもヒントになるというか、足場になるお話だったと思っています。学びに向かう力だったか、態度だったか忘れましたが、英訳は、Motivation to learnなんですよね。学びに向けての意欲、モチベーションという訳がどこかにあったと思うんですけれども。そうすると、私なんかがもともと専門といえば専門なんですけど、Motivation to learn、learning motivationというのは、育成するべきものですが、評価すべきものか、特に総括評価すべきものかという論点が1つありますよね。と同時に、見方によっては、Motivation to learnというのは、もともと全ての子供には萌芽としてはあるのだと。幼児教育の方なんかは、皆そう言うわけですよね。子供は有能な学び手だと、学ぼうとしているのだと。
 その学ぼうとしているものを、各教科の具体、つまり、文化遺産との対決の中で、顕在化させたり、価値に気づかせたり、さらに高めて洗練させたりするという話なんだろうと思って、それをどう評価するかという話です。まずは、診断評価や形成評価も着実にして、その子が今の学習活動にしっかり向かい合って、質の高い問題解決ができるようにするというのは、多分、これは何の問題もないと思うんです。
 問題はやっぱり総括評価の部分で、総括評価は、今日は出ませんでしたが、すべきじゃないという議論もありますよね。これは、態度主義学力批判なんかも含めてですが、そういうふりをしてしまうから、あるいは思想統制になるから、すべきではない、あるいは、人格にかかわるから、すべきではないという議論が1つあるだろうと思います。
 西岡先生のお話は、統合してやっていけばいいんだという話で、極めて穏当で適切だと私は思いますけれども、先ほどの市川先生の話にあったように、いや、そこは分離してやれるんだと。この辺を今後、どう議論していくのかなと思って伺っていました。ただ、それは、いずれにしても総括評価に関わるものなんだろうなと思っていますが、それでいいのかなということです。
 ただ、もう一つ、これは心理屋として考えるんだけども、この学びに向かう力とか態度の部分が、学力論としての社会情動的スキルとか、非認知能力という言い方が多分近いものとして言われているんですけれども、非認知能力と言ったり、社会情動的スキルと言っている場合は、かなりジェネリックなものを考えていますよね。
 国語のこの単元でとか、数学のこの授業でというのではなくて、多分、かなりジェネリックなものを考えているんだと思います。実際、心理学なんかでも、Generalized Expectancy、汎用化された期待。つまり、自分は頑張れば何でもできるんだ、やればできるんだ、みたいなもので言われた時代もあるし。でも、一方で、バンデューラという人なんかは、自己効力感、セルフエフィカシーという言い方をしていますけど、あれは極めて特殊的、この課題が自分にどのぐらいできるかという話なんですよね。
 何を言いたいかというと、つまり、この態度とか、意欲とか、学びに向かう力とか自信というのを、どのぐらい領域特殊的、文脈依存的と見るか、あるいは、どのぐらい汎用的で人格的なものと見るか。あるいは、これは連続していると思いますけれども、この辺りのある種の学力というか、モデルをどう見るか。そして、それとの関係で、個々の授業やカリキュラムを考え、あるいは評価するか、育成するか、これはなかなか悩ましい問題で、かなり混乱をしているように思います。
 また、学習指導要領に記述する際にも、知識・技能とか、思考・判断・表現は、かなり当然、領域特殊的に書けるし、既に書いていますが、この学びに向かう力とか、態度の部分は書けない、あるいは書いていないですね、現行ほとんど。これは、書くべきなのか、書けるのか、書けないのか、何か難しいなと思っています。つまり、どのぐらい領域特殊的で、どのぐらい汎用なのかということですね。
 最後に、今日の話にはなかったし、非常に瑣末なことではあるんですが、現場を歩いていると、評価をめぐってよく話題になるのに、業者がおつくりになっている単元テスト、ありますね。その単元テストを利用して、総括評価をやっているという学校は多くあります。業者さんが作っている単元テスト、なかなかよくできていて、工夫もされていて、今日、西岡先生のお話にあったルーブリックやパフォーマンス課題のようなものを想定している、なかなかいいものもあるんです。
 ただ、授業とは別に、つまり、具体的にその先生がどういう授業をなさったのかということとは切り離した形で使えるように作られているので、授業で実際に子供が何に取り組んだかということに対して、ちょっと外で評価する形にならざるを得ないと思うんです。
 すると、知識・技能は分かるんですよ、先ほどの話もあったように。ただ、思考・判断・表現とか、学びに向かう力をそれで評価して、業者の基準に沿ってA、B、Cを割と自動的につけるということがやられているんだけれども、それはどうなんだろうなと、以前から思っています。
 一番心配なのは、業者テストで、こういう回答だったら、これをAにしていいということを、現実の子供の姿とかで統計的に確認したデータがあるのかといえば、多分ないですよね。それで、テストとしての妥当性があるのかと。僕らも心理屋だから、それは教育測定的に妥当だと言えるのかという話は、ちょっと見逃せない問題のような気が、最近しています。
 もちろん、民間が自由にやっていらっしゃることなので、何か口出しし難いことではあるんだけれども、非常に広がっていて、現場がそれに依存しているようなところもあるので、極端に言えば、業者テストがこうなっているから、そういう授業をしないとまずいみたいな。今日のような、例えばパフォーマンス課題でいい授業をしたんだけれども、業者テストにはこのパフォーマンス課題でやったものが出ていないので、そこを1時間プラスやりましたみたいな、よく分からない話になっていて。
 ちょっとこれは、今日の話題とは違うようだけども、現実の実践になったときに見過ごせない。つまり、幾ら評価についてこういうところで議論をして、理論的にとか、概念的に適切なものを出していても、そういうものに持っていかれるのでは困るなという意味で、少し話題にできればと思っていました。
 すみません、以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。それでは、続きまして、石井先生、お願いいたします。
【石井委員】  どうも西岡先生、お疲れさまでした。同僚なものですから、なかなかこれ、発言も難しいところもあるんですけども。やっぱり、それこそぎりぎりまで先生がスライドの準備をされていたことを、私はよく存じ上げているので、本当にまずはお疲れさまでしたというふうに言わせていただきます。
 かつ、もう一つ、ふだんから御一緒させていただいているんですけども、今日、本当にほかの委員の先生方もおっしゃったように、非常に体系的に、かつ、多分これまでさらに調べられて、まとめられたというふうなことがすごくよく分かるので、私自身、非常に勉強になりました。ありがとうございました。
 その上で、だから、主張としてはかなりかぶるところがあって、私の質問というよりも、考えたことというふうなことを少し述べさせていただけたらと思うんですけども、大きくは、2つになるかと思います。もうちょっとかな。
 1つ、評価というふうなことに関しては、西岡先生のほうからもありましたように、日本においては、評価概念が結構多義的過ぎるというか、見取り、評価、評定とか、この辺ごっちゃになっていて、評価するというふうなことはどういうことなのかというイメージから、やはり、日頃現場で話しているときも、やっぱりその区別から話していく。
 さらに言うと、今回も形成的評価と総括的評価は区別しましょうみたいな、この1つだけでも全然違うわけなんですよね。自分が評価というふうな言葉でやっている仕事がどっちに当たるのかなということを考えるだけでも、ワークシートとかノートのめくり方が変わってくるというふうな話なんです。これで言いますと、実はこの制度の面においても、この変革は実はごっちゃになっている。
 例えば、各教科における評価の基本構造というふうな図もありますけども、あそこでやっぱり評定というふうなことを言っているんですが、あれは、正確に言うならば総合評定であって、3段階で評価というふうに観点別に書いてあるのは、これは3段階で分析評定なんです、正確に言うならば。だから、分析評定と総合評定の関係というふうなことで、本来ならばそのように正確に記述すべきところではありますけども、これ、だから、これは正確に言うならば、観点別の分析評定なんです。
 ですから、この辺りも、ここで観点別評価って書いてあるから、それが形成的評価で、評定とあるから、ここで5段階のやつ、これが総括的評価みたいな、そういう誤解みたいなものもかなりあると。だから、その辺り一つ一つ、政策的なところで少し混同しているところが、現場のサイドにおいてもさらに混乱につながっているというところもあるので、その点に関しては、今回、この記録に残す評価云々というふうなことで、そこで区別したというのは、要は形成的評価と総括的評価の区別といったものを、一定実装するというふうな意味があったのかなというふうに思います。
 もう一つ、主体的に学習に取り組む態度であるとか、学びに向かう力、広く言えば情意というふうなことに関わる。あるいは、でも、メタ認知ということになってきますと、情意と認知の間になってくるので、ほぼ準認知的観点的な部分もあるわけなんですけれども。でも、広く言いますと、これまで認知と情意というふうなことで言えば、情意領域に関しては、もともと今の現行の観点別評価の基になったブルームも明確に言っていますけれども、情意領域は目標に掲げるのはオッケー。ですから、伸ばすのは大丈夫ですよと。だから形成的評価はいいでしょう。
 しかし、総括的評価、特に成績づけというのは、これは望ましくないでしょう。だから、できる、できないではなくて、望ましくないと明確に言っているんですよね。そこを日本に持ってきたときに、若干、それぞれ別にそれに倣う必要も、各国の事情もあるとは思うんですけど、しかし、やはり、その中でこの態度に当たるものとかをA、B、Cで実は評定しているわけです。
 だから、これも評定というふうな意識をせずに評定しているんですよね。それがまず、あります。さらに言うと、その目標に掲げても評定せずみたいな、この辺のオプションというか、こういった部分も十分に議論が必要だったのかなと思います。私自身も、前回の学習評価のワーキングでは、今のようなことで、私はこの主体的に学習に取り組む態度といったものに関しては、この学びに向かう力に関しては、評定に関してはかなり慎重だということで、その中で人間性等、これは外そうという話になったんですが、態度観点が最後まで少し残ったと。
 でも、その上でやっぱり議論すべきは、先ほど市川先生がおっしゃったように、主体的に学習に取り組む態度とか、学びに向かう力といったものは、何に向かう力なのかということで、その辺はちゃんと整理が必要かなと思っています。先ほど市川先生がおっしゃったのは、学習に向かう。もう一つは、広く、これはカリキュラム全体で目指していくところだと思いますが、人生に向かう。もう一つ、実は教科においては、各教科の目標がありますね、主体的なところというか、上位目標。その上位目標は何かというと、これは教科に向かうなんです。
 ですから、先ほどの学習指導要領の中でも、目標記述の中でも、言葉に関して言えば、これは学習に向かうというような一般的な学習方略の話ではなくて、教科の言葉の感覚とか、そういったものに関わってきますよね。だから、教科に向かう態度というふうなこともある。この辺の三つどもえじゃないですけども、これらが学習指導の中でもごっちゃになっているので、ちゃんと整理する必要があるかなと思います。
 学習に向かう態度ということでいうと、学習方略であるとか、それはかなり汎用性を持ってくるところがあるので、別に教科を通して、言ったら学習の基盤となるものとして、ノート指導とかも含めて、もともと市川先生とか、教訓帰納とかもそうですが、ノート指導とか学習方略の認知カウンセリングとか、そういう形でやられていたと思うんですよね。
 それは、教科に固有の目標とかというよりも、基盤となるものを育てていく取組として遂行されていたと思います。さらに言うと、志とかを立ててというふうな、人生に向かう態度は、西岡先生とかもおっしゃるように、特活とか、総合、そういったものでトータルにやっていく。その上でも、やっぱり目標として掲げておいて、実際、評価・評定するかということで微妙なのは、教科に向かう態度というところです。これは、パフォーマンス課題を使えば、その中で自然と思考・判断・表現とセットで、多面的、多角的に見ようとするとか、思わず何かちょっと裏を考えてしまうとか、そういうのがディスポジションですよね。
 だから、モチベーション、それからディスポジション、それからエージェンシー、この辺がごっちゃになって主体性というふうな言葉で語られている。この辺りを、私、整理したというのが、先ほどのタキソノミーということになります。ですから、改めてそれで学習指導要領の中にある目標構造、この辺は整理していくというふうなことが重要かなと思います。
 もう一つ、もうこれで終わりますけれども、先ほど目標と評価、この評価をカリキュラムのところで一体的に、今回議論するということが重要だというふうなことを、秋田先生等もおっしゃったと思うんですが、まさに指導と評価の一体化の前に、考えるべきは目標と評価は一体だというふうなところですよね。
 それで言いますと、実は、この観点をどう立てるのかというふうな話というのは、これは、先ほど、奈須先生がおっしゃったこととつながるんですけど、現行の観点であるとか、目標の構造化の仕方というのは、いわゆる学力モデルが1時間の授業単位で基本的に考えられていると、私は見ています。ですから、1時間主義を超えられないんですよ。1時間の授業の中で、それで何とか的活動とか、数学的活動とか、算数的活動とかあるじゃないですか。その中で、方法面というか、思考・判断・表現と態度を、こういうふうに表れますよというふうに、1時間の授業単位での知識と、思考と、態度の育ちみたいなものが、1時間単位の活動の中に閉じ込められているというふうな、そういう目標構造だというふうに見ています。
 でも、そうではなくて、今回のレス・イズ・モアであるとか、教科内容の構造化とか、重点化ということでいえば、少なくとも単元単位でデザインを考えていく、ここへのシフトが一番のポイントだと思うんです。そう考えたときに、観点の立て方、さらに言うと目標構造は変わってくるというふうに思います。
 だから、多分、そのような次の議論にもつながってくると思うんですけれども、そういった、実は評価の構造を考えていくということは、単元でどういうふうに組んでいくのかと。それというのは、簡単に言えば、今回のファンの例にもありましたけど、舞台に向けて、また試合に向けて、いよいよそれぞれ自由に学習しますよみたいな、舞台に向けた学びの構造みたいなことになってくるわけです。
 その舞台に向けたところで、例えばサッカーだったらサッカー、それに向けて、ドリブルとか、シュートとか、個別の機能といったものがパーツとしてちゃんと組み立てられていくというか、大きな活動の中にパーツを見ていくという、そういう単元のストーリーの組み方が重要になってくると思うんですよね。
 それに合わせるような形で、要は目標というか、観点をどういうふうに整理していけばいいのかというふうな、そういう実際の単元を見通したときの活動を想定しながらの、観点、目標の構造化の議論が必要だというふうに思います。ですから、今回、それに関しても、この73ページで、明確に教科書が1時間主義的な形で積み上げていく感じでやっていくことに対して、大きくプロジェクト型というか、主題単元型で組んでいくというふうなことのイメージを示してくださったと思います。
 そうなったときにポイントになるのは、大阪、滋賀、和歌山、こういった個別をパーツとしながら、トピックとしながら、結局それが一体共通にどういうふうな内容というか、新たなコンテンツの在り方なんですよね。それが、いわゆる概念理解ではないですけれども、つまり、例えば人と文化とか、産業と環境との関係、相互作用を捉えるとはどのようになっているのかとかいうふうに、メタな目標が立ってくる。メタ認知じゃないですよ、メタな目標です。
 だから、そういうふうな組み方になってくるかなと思います。ですから、これは実は全く今までないものではなくて、タイプで言えば、ゴール型というふうな大きなコンセプトがあって、その上でサッカーも、バスケも、みんな一緒というふうに並列関係にあると。ただ、そういうふうに、今まではトピックレベルが目標になっていたところを、ちょっとメタ水準のところを目標として意識することで、自由にカリキュラムが組めるというのが、これが単元のつくり方だというふうに思います。
 ですから、そういうふうな発想の転換みたいなもの、これ非常に難しいところではあるんですけども、発想の転換なんです。これ、慣れてくるかどうかというふうな話ではあるんですが、そうやって単元というふうなことで考えていくことが、結局内容の重点化と、今のような形でメタ水準で考えていくということになってくるので、そこにつながってくるし、さらに言うと、観点別評価の観点というのをどういうふうに立てていくのかということにつながっていくのかなというふうに思います。
 すみません、長くなりましたが、以上です。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。残りの時間も少なくなってきましたけども、ここまでのところの委員の方々からの御発言、それぞれ伺わせていただいておりますけども、西岡先生から用意していただきました資料の58は、2010年の学校評価の在り方についての教育課程部会の報告書について御紹介いただいているというか、取り上げられています。
 その中に、授業改善のための評価ということが重要であるということと、そして、その文章でいきますと、指導後の児童生徒の状況云々というふうな、そういう評価のという文脈で書かれているわけです。ここのところの授業改善のための評価ということは、当然、学習者がどうであったかというふうなことのデータがなくしてこの部分は成り立たないわけですけども、一方においては、ここのところにはかなり条件整備的な視点というか、そういうものもこの中には実は絡まってくるというふうな。
 今日、御提案の中にカリキュラム・マネジメントのそれということですけども、カリキュラム・マネジメントにおいても、やはり、まさに学習者がどういうふうに成長したかという、それがなくして、話にならないわけです。ただ、そこのところには、言うところの、いわゆる経営的なというか、運営的な条件整備的な視点というのが重なってくるというか、つながってくるというふうな、そういう評価も、どういうふうに整理して位置づけるのかというんでしょうか、あるいは扱っていくのかということも、またこれから検討して、議論していく必要のある視点ではないかなというふうに思いましたので、ちょっと加えさせていただきました。
 さて、まだ御発言いただいていない委員の方。
【秋田座長代理】  貞広先生。
【天笠座長】  そうですね、貞広委員、御発言いかがですか。
【貞広委員】  ありがとうございます。千葉大学の貞広です。西岡先生、お話をいただきまして、ありがとうございました。私、全然門外漢なんですけれども、今日、先生のお話を伺って、大変合理的、構造的で、かつ、現場の先生方が何で悩んでいるんだろうというふうに、日々接するところと併せながら、非常に納得性を持って聞かせていただきました。大変勉強になりました。
 ちょっと門外漢なのでということで発言を控えていたんですが、今、天笠先生からコメントがありましたので、私、教育の条件整備が専門なんです。一番最後のスライドに、教育政策、教育制度、教育諸条件などの整備についても、併せて評価をするべきという御指摘をされています。過去の学習指導要領は、残念ながらリソースとか、ロジスティックについて全く考慮しないで、新しいことをどんどん持ってきたという歴史があると思います。
 青木栄一さんなんか、明確に指摘をされていますけれども、私も全くそのように思っています。ちょっと別に、また諸外国ということを言ってしまいますけれども、新しいものをやるんだったら、給料は増やすという普通のやり方が全くなされてこなかったと。それだけではなくて、ただ給与云々ではなくて、やはり教育委員会の本気のサポートがあるところと、ないところと、今のありようも相当違っていると思います。
 とりわけ、今日、西岡先生がお話をされた評価の部分、または、今後ボトムアップでスタンダードをつくっていったり、カリキュラム・マネジメントによってカリキュラムを自己改善していくというふうになると、この支援のありようということによって全く違ってくると思いますので、ここの部分もしっかりと評価をして、可視化していくということもすごく重要だと思います。
 その点で、もし、御提案があればということですけれども、とりわけどういう条件が、カリキュラムの充実ということに重要だと、先生は考えられているのか。または、例えばこの条件整備の評価を、学習指導要領の定着度評価の教育委員会バージョンも併せてやるような形まで、制度を想定されているのかということ、もしアイデアがありましたら、お聞かせいただければと思いました。時間のないところ、申し訳ありません。
 ありがとうございました。
【天笠座長】  どうもありがとうございました。それでは、引き続きまして、荒瀬委員、お願いできますか。
【荒瀬委員】  ありがとうございます。今、御質問も出ましたし、むしろ私、西岡先生のお話を承りたいと思います。大変勉強させていただきましたし、また認識を新たにしたというのが感想でありますけれども、ぜひ今のお話についてもお聞かせいただければと思っております。
 以上でございます。
【天笠座長】  それぞれ委員の方から御発言をいただきました。ということで、あと残りの時間も少なくなってきました。ここまでのところにつきまして、西岡先生、御発言いただける点についてお願いできればと思いますので、よろしくお願いいたします。
【西岡氏】  本当にたくさんの御質問、御意見、ありがとうございます。発表した甲斐があったなと思っています。
 まず、貞広先生にいただいた条件整備なんですけれども、各地域で特色を出し始めている分、地域間格差がどんどん広がっているということを、私も心配をしております。各学校がちゃんと少しでも一歩ずつ前に進めるように、例えば指導主事さんが指導できる知見が共有されているか。指導主事さんの研修も、本当に都道府県によって違いますし、そういった側面は本当に大事なことだなというふうに思います。
 基盤になる条件がないのに、カリキュラムを変えられないということでいえば、一番のリソースは学校の先生。リソースという言い方をしたら失礼かもしれないですけれども、本当によく日本の学校は乗り切ったなと思うのが小学校英語です。小学校の先生方は免許を取る課程で小学校の英語教育を学んでいないのに、何とか小学校英語を今、教えておられるわけです。
本来、小学校英語を導入するのであれば、小学校の英語の先生をちゃんと育成して、これだけの人数が要るということをやっていかないとまずいですよね。
本当に言えば切りがないといいますか、例えばタブレット端末の普及についても、今、故障しているタブレットの修理費が追いつかない自治体もどんどん出てきていますし、ネット回線はクラス全体がつなげば落ちるみたいなところも幾らでもあります。
 でも、私は、ネットよりも何よりも、まず学校の先生方が足りているかに関する地域間格差ですね。非常勤の先生で回している率がどれぐらいかという辺りは、ちゃんと統計をとってモニタリングしないと、もう既にメディアでも流れていますけれども、本当に日本の学校の危機だと思います。
 先ほど、授業改善のための評価の中に、カリキュラム・マネジメントの中で行うカリキュラム評価の側面も含むべきだというふうなことを、天笠先生が言ってくださって、それは本当にそのとおりだと思ったんです。ただ、私は、現実的にカリキュラム評価を日常的にやるというイメージは、ちょっと授業改善のために先生方が日々、それこそ生徒たちの振り返りをパッと見て、「大体、分かったな」とか「この子、こういうつまずきしているな」とか、そこをざっと見る授業改善のための評価と、カリキュラム改善のために学校が体系立てて「今、うちの学校のカリキュラムはどうなっていて、どこに弱点があって、どう改善しなきゃいけないか」ということを評価・改善のサイクルとして回していく際の評価とは、やっぱりちょっと分ける必要があるかなと考えています。
 スライド69枚目に挙げたのが、これ、実は本当にごくごく普通の公立中学校、京都市立衣笠中学校でカリキュラム改善に取り組んだ時のものです。パフォーマンス課題を導入し始めたんですが、最初はパフォーマンス課題とは何かというのを理解してもらうところから入ってもらったんですけども、2年目には教科会で「パフォーマンス課題って、ああ、こういうものか。じゃあ、協働でつくってみよう」とやってみるわけです。そうすると、子供たちが生み出した作品が出てくるので、それを使いながらルーブリック作りをするわけです。そうすると、例えば理科の先生が、「理科でグラフを描かそうと思っているのに、描く力がない。数学、しっかりしてほしい」とか、あるいは、理科の中で「ああ、うちの生徒たちはどうも見えない仕組みをイメージする力が弱いな。じゃあ、今年度はうちの理科部では、見えない力を意識させる力、それは、エネルギーだったり、力の働きだったり、電流だったり、いろいろあるわけですけれども、そういうことをイメージさせるということを、教科を挙げて取り組んでいこうじゃないか」とかといった改善サイクルを回していくわけです。そういった子供の姿として捉えたことを次のカリキュラムや指導の改善に生かすというサイクルを回すのが、カリキュラム・マネジメントにおけるカリキュラム評価だと思うので、やっぱりどのタイミングで何をするのかということは整理する必要があるのかなというふうに思います。
 それから、個人内評価と「目標にとらわれない評価」というのは、実はちょっと概念が違います。個人内評価や「目標に準拠した評価」というのは、学習評価をするときに、何を規準にして評価をするかという話で、「目標に準拠した評価」では、教師がこういう力をつけたいというふうに目標設定して、それに照らして評価をする。個人内評価というのは、それぞれの子供の時系列での変化だとか、カリキュラム横断で見た時に、どの部分が得意で、どこの部分が苦手かというような、個人を規準にして評価をするのが個人内評価です。
「目標にとらわれない評価」というのは、実はカリキュラム評価の文脈の中で出てきた用語です。カリキュラムがうまくいっているか、いっていないかを、カリキュラムをつくっている教師自身が見たのでは見えない場合がある。これに関して、レストランのコックさんと御飯を食べるお客人のメタファが出てくるんですけれども、やはりコックさんというのは自分の思いがあるから、どうしても「このお料理を作る。こういうふうに作りたいぞ」と思って料理するわけです。でも、結果的においしいかどうかについては、そんな目標を気にしていないお客さんが「うまい」と言ったらそれでいい。そういう文脈で出てきているゴールフリー評価が、日本で言うと、学習評価の文脈でちょっと混乱されて使われている部分があります。
 私自身は、確かに先生方御自身が設定している目標が本当に適切だったのかどうかを見る必要もあると思います。1つの目では、目標を規準に見る。もう一つの目で、自分は目標にとらわれてしまって見えていない子供の姿がないかなという視点で見る。それは、再び50ページの図に戻りますと、見取りの部分になると思うんです。
例えばなんですけれど、教科で目標を達成するために、「この授業でこれをやっていこう」と思っている時に、子供がひょっとしたら泣いちゃうかもしれませんよね。地図を勉強している時に、児童養護施設にいる子供が、「うちの家はこの地図の中にはない」と言って泣き出したということがあるんです、聞いた話なんですが。その時には、「目標に準拠した評価」で、「何が何でも今、これは地図の勉強です」と言うのはやっぱりちょっと間違っていて、その子にとって、今、それが一番、切実なことで、この子は緊急避難的に一旦休ませてあげなきゃいけないというような判断ができるような力というのも、教師には必要だと思うんです。
 なので、全てが「目標に準拠した評価」で捉えられるわけじゃないというのは、本当におっしゃるとおりです。目標にとらわれずに、子供を見取る力も確かに要るんですけれども、それはやっぱりちゃんと両方意識しながらやっていくべきだろうし、そういう見取りが必要だからといって、その子に地図の力をつけなくていいという話にはならないので、そこをちゃんと整理しながらやっていく必要があるだろうなというふうに思います。
 「逆向き設計」論では子供は捉えられないという批判は、私は実はむしろ逆だと思っています。「逆向き設計」論でここまでは育てたいと思ってやるからこそ、例えば、グループで話合いをしていれば黙っている子がいてもいいということにはならなくて、もっと上のレベルがあるぞというふうな、むしろ従来の水準を突き抜けていく実践改善が可能になっています。
 ルーブリックをつくるワークが本当にいいんです。自分としては、この意図で何とかやりたいと、ここの理解を身につけさせたいというふうに指導してみるんだけど、子供の発想というのは常にはみ出していきます。
 それから、ごめんなさい、もうやめないといけないと思うんですが、もう一分。
【天笠座長】  そろそろ。どうぞ。
【西岡氏】  モチベーションは、私は評定すべきではないと思っています。非認知的スキルは、本当に非認知なのかということは問われるべきだと思います。マシュマロ・テストが有名ですけど、マシュマロを我慢できる子というのは、待っていればちゃんと約束を守ってもらえる家庭に育っている子で、待っていたらマシュマロを取られちゃう子は待てない。そうすると、非認知的スキルをもって待っていられる子どもが将来、成功する率が高いというのは、階級差が反映されているだけじゃないかというような研究もありますので、もっと慎重に考えるべきだと思います。
学校段階ごとの違いについては、私は実は基本形は一緒だと思っています。ウィギンズたちの「永続的理解」というのは、素朴な理解から、より洗練された理解まで、小学校から大人までずっと育っていくというような理解像を示しておりますし、探究に寄り添ったポートフォリオ検討会に出ていると、小学校の探究といえども、私は卒論指導と全然変わらないと思いました。
 すみません、長く話しましたが、いろいろ本当にどうもありがとうございました。
【天笠座長】  それでは、本日の意見交換はここまでということにさせていただき、議事は以上ということにさせていただきます。
 なお、今日、御欠席の戸ヶ﨑委員でありますけども、本日の発表を踏まえた意見について、後日提出があるというふうに伺っております。受け取り次第、議事録に掲載をさせていただきます。
 西岡先生、本日は貴重なお時間を頂戴しまして、またも大変貴重な御発表をいただいたことについて、御礼を申し上げたいというふうに思います。どうもありがとうございました。(拍手)
 次回以降の日程につきましては、事務局と相談の上、改めて御連絡させていただきます。
 それでは、本日は以上をもちまして閉会といたします。どうもありがとうございました。
 
戸ヶ﨑委員提出意見(PDF:593KB)PDF

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(初等中等教育局教育課程課教育課程企画室)